ニュース 青年のページ 政策と主張 議員・候補者 リンク お問合せ プロフィール
ニュース

しんぶん赤旗奈良県ニュース  2020年7月25日付け

 

私たちは実験台ではない

被爆体験の語り部 秋山勝彦さん(80)

 

 

 奈良県の小学校の98%が広島へ修学旅行に行きます。広島で被爆体験を語る人が減り、私が県内20校で毎年、「語り部」をするようになりました。今年はコロナの影響でほとんどありませんが、大阪でも3校、埼玉県川越市でも語っています。

 

 きっかけは、定年退職後に川越市の語りの会に入り、布芝居「じごくのそうべえ」を演じていた時に、自分の体験談を語るように薦められたことです。その後、東京・品川図書館で2時間の講演をした時に「それだけ原稿があるなら本を出しなさい」と言われ、自費で『ぼくの戦争』(ウインかもがわ)という本を出版。これを奈良県桜井市の先生が見つけて、私が呼ばれるようになったわけです。

 

 私の話は恐ろしくないので子どもたちはよく聞いてくれます。

 

 私が5歳8カ月の時、母と小学2年の姉、生後8カ月の弟と一緒に、広島市の爆心地から1・5船瓠璽肇詢イ譴深宅で被爆。私と姉は外から家の中へ逃げ込み、爆風で、玄関から一部屋通り越して奥の間までガラス戸と一緒に吹き飛ばされました。

 すぐに母に手を引かれて裸足のまま逃げました。その時に足を痛め走れなくなったので、小学校ではいじめられました。中学1年の時には同級生から「この原爆の生き残りめが」と言われ、家にあった原爆手帳交付のための検診通知を破り捨てて、もう絶対に原爆の話はしないと誓いました。

 

 その後も被爆者であることを隠していましたが、大学4年の時、研修のため広島に行き、ABCC(放射能影響研究所)の見学を許されました。そこには被爆者と広島市を実験台のように扱い、それを自慢げに説明する日本人医師がいたのです。私は怒りを抑え切れませんでした。

 また仕事で広島赴任となった時に生まれた家を訪れたことで、原爆のことを語りたいという思いがふつふつと募りました。

 

 私はいま怒りたぎっています。なぜ戦後75年も経って放射能障害に対する特効薬ができていないのか。どうして唯一の被爆国である日本が核兵器禁止条約を批准しようとしないのか。

 私たちは実験台ではありません。人知の及ばない放射能の恐ろしさをもっと教えるべきです。核兵器も原発も廃止するしかありません。

 

(聞き手 奈良県・正木敦)


コメント
コメントする








   

最新記事

記事カテゴリー

過去の記事

さらに古い記事

記事検索

その他

mobile

qrcode